三百年つづく、富士の麓の酒蔵
天地星空を醸す富士錦酒造は、元禄年間(1688〜1704年)に、富士山の麓・柚野(ゆの)の里で生まれました。地主として米を作り、その米で酒を仕込んだのが始まりです。

酒銘「富士錦」の由来
富士に錦なり
明治7年(1874年)、清家の四男として生まれた崟太郎(きんたろう)は、新聞記者を経て尾崎行雄の秘書となり、のちに衆議院議員になりました。明治44年には、アメリカの国立公園にならって「富士国立公園」の設立を帝国議会に建議しています。
大正3年(1914年)、崟太郎は司法大臣となった尾崎行雄を柚野の実家に招きます。夕日を受けて錦色に輝く富士山に心を動かされた尾崎は、国会議員として故郷に錦を飾った崟太郎の姿を重ね、「富士に錦なり」と口にしたといいます。
それまで清家の酒には銘柄の名前がありませんでした。この言葉をいただいて名付けたのが「富士錦」です。

明治の蔵
富士錦酒造に伝わる、明治時代の写真です。明治20年(1887年)の母屋の建築風景と、一階が馬小屋、二階が蚕部屋だった表門。酒造りのかたわら、蚕も育てていた農家の暮らしがうかがえます。


年表
元禄
元禄年間1688–1704
初代が創業。地主として多くの小作人と稲作を営み、田の借り賃として納められた米で酒造りを始める。
明治
明治7年1874
14代目・清 宗内の四男として、崟太郎が生まれる。
明治20年1887
母屋を建築する。
明治41年1908
崟太郎が衆議院議員に初当選。
明治44年1911
崟太郎が「富士国立公園」の設立を帝国議会に建議。
大正
大正3年1914
司法大臣・尾崎行雄が柚野を訪れる。その言葉「富士に錦なり」から、酒銘「富士錦」が生まれる。
大正10年1921
崟太郎、任期中に47歳で亡くなる。
昭和
昭和11年1936
富士山が「富士箱根国立公園」に指定される。
昭和23年1948
農地改革により地主業を終える。酒造りも休業となる。
昭和24年1949
6年の休業を経て、酒造りを家業の柱に「清酒造場」として再開。
昭和30年1955
17代目・清 恭治が代表に就任。
昭和38年1963
法人化し、富士錦酒造株式会社を設立。
昭和49年1974
全国に先駆けて、糖類や醸造アルコールを使わず米だけで醸す清酒「富士天然醸造酒」を発売。
平成
平成2年1990
級別制度の廃止を機に、高品質な特定名称酒づくりに力を注ぐ。
平成8年1996
第1回「蔵開き」を開催。400人が訪れる。
平成18年2006
清 信一が18代目として代表取締役に就任。
平成26年2014
酒銘「富士錦」から100年。尾崎行雄の号をとった記念酒「咢堂」を発売。
平成28年2016
清酒の輸出を始める。
令和
令和8年2026
第26回「蔵開き」を開催。
年表は富士錦酒造の会社沿革と、18代目蔵元の寄稿「富士に錦なり」をもとにしています。
蔵の仕事

田
柚野は、富士山から吹き下ろす「富士おろし」が冷たい寒冷地。ミネラルを含んだ湧き水で、有機農法の酒米・山田錦が育ちます。

水
富士山に降った雨や雪は、溶岩の層でおよそ70年かけてろ過され、硬度32のとてもやわらかな水となって湧き出ます。

手
1974年、全国に先駆けて、糖類や醸造アルコールを使わず米だけで醸す酒を世に出しました。
「酒造りは非常に手間のかかる仕事ですが、これからも愚直に、一切手を抜くことなく続けていきたいと思っています。」

吟醸王国・静岡
昭和50年代、静岡県の工業試験場で酵母を研究していた河村傳兵衛氏らと、県内の酒蔵が力を合わせて「静岡酵母」を生み出しました。
静岡酵母で醸す酒は淡麗で、メロンやバナナを思わせる果実のような香りが特徴です。料理の味を引き立てる食中酒として知られ、静岡は「吟醸王国」と呼ばれるまでになりました。
出典:静岡県公式ウェブサイト
新酒を祝う、蔵開き
蔵開きは、新酒の完成を祝う富士錦の恒例行事です。地元の「柚野村おこしの会」と蔵が一緒に開き、富士山の伏流水で仕込んだ新酒が振る舞われます。
酒蔵の見学や新酒の試飲、地場産品の販売、子ども向けの広場まで並び、2026年3月には第26回を迎えました。蔵は、この日を「皆さんが心置きなく楽しめる一日」にしたいとしています。



三百年の蔵が醸す、天地星空
商品一覧を見る写真:富士錦酒造